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1981年
神奈川県南足柄市に生まれる
金太郎が生まれた足柄山で生まれる。大自然豊かな山の中で、野山を駆け回ったり滝に飛び込んだりして育つ。
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2005年
華陵学園幼稚園
お寺の住職さんが園長先生の幼稚園に通う。お泊り合宿でお寺に宿坊にとまり座禅を習う。幼稚園でカブトムシを100匹飼ってると見栄を張って嘘をついてしまい、泣きながら夜遅くまでおじいちゃんとカブトムシを捕まえにいく羽目になり、正直の大切さを学ぶ。
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2008年
北足柄小学校 北足柄中学校 桐蔭学園
小-中学生時代は山の上の小さな学校でのんびり過ごす。勉強はそこそこできたが、運動や音楽は全くダメ。口パクで9年間合唱コンクールを乗り切る。そんなある日、祖父がリウマチという病気である事を知り、医師になる事を志し高校は横浜の進学校に入学。入学してから、男子校だと知って愕然とするが時すでに遅し。計画や調べる事の大切さを学ぶ。
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2015年
昭和大学医学部
昭和大学医学部に入学。医学の勉強をしつつ、ケンタッキー・焼き鳥屋さんでアルバイトし、接客と調理の楽しさを知る。学校では弓道部に入り、一番下手だが主将を任される。ベンチを温める裏方主将だったが、仲間のお陰で東日本ブロックを勝ち抜き何十年ぶりかの全国大会に出場。試合に一度も出ていないのに、部の歴史に名前が刻まれる。このころ、大学の図書館で奥さんと出会い一目惚れ。お付き合いして頂き、その後結婚。
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2009年
昭和大学医学部大学院、リウマチ膠原病内科
医師国家試験合格後は、子供の頃からの夢であるリウマチを治せる医師を目指してリウマチ膠原病内科に入局。当時日本に入ってきたばかりの関節エコー検査と出会い、リウマチ診療を変えるのはこれだ!と感動。関節エコー研究の進んでいた横浜市立大学に通い日々練習に明け暮れる。同時に大学院にも進級。研究は苦手でほとんど研究室にいなかったが、研究室の研究員さんに気に入られ知らないうちに実験をして頂き結果が出る。しかしその結果をまとめる英語論文が全く書けず、卒業の締め切りが迫る。ご指導頂いている教授から「これを参考にしなさい」と渡された先輩の論文を、素直に名前とタイトル以外丸写して教授に怒られる。が、3日後にそのまま教授が書き直してくれ論文完成、海外の論文に掲載されて奨学金を頂く。
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2012年
日本赤十字社医療センターアレルギーリウマチ科
先輩の公認として、全国の赤十字病院の総本山である日本赤十字社医療センターに1年間派遣される。リウマチ膠原病診療の第一人者、猪熊先生のもとで勤務し学ばせて頂く。長男が生まれる。
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2013年
埼玉メディカルセンター
関節エコーの第一人者、青木先生の元で勤務し学ばせて頂く。次男が生まれる。
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2013年
さとう内科ファミリークリニックを開業
今まで学んだ事を地域でお役だてしたいとクリニックを開業を決意。内科・小児科・糖尿病科・リウマチ科を標榜し開業。
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2013年
さとう埼玉リウマチクリニックに改名
リウマチ患者さまにより貢献したいという想いで、リウマチ診療に特化した専門クリニックに生まれ変わる事を決断。一気にリウマチの新規患者様が増え、現在の急成長が始まる。長女が生まれる。